高倉宮下層遺跡出土資料 縄文〜弥生時代 京都文化博物館蔵
縄文〜弥生時代の三条通
縄文〜弥生時代の土器・石器
高倉宮下層遺跡出土資料
縄文〜弥生時代 京都文化博物館蔵
京都の歴史というと、平安京造営以降を思い浮かべる方は多いでしょう。しかし、平安時代になって初めて人々がこの地に住み始めたわけではありません。興味深いことに、三条通に面する京都文化博物館の界隈では縄文〜弥生時代の土器や石器等といった、平安時代をさらに遡る時代の人々の活動した痕跡が見つかっています。
京都の縄文遺跡は、京都大学構内を始めとする北白川遺跡群がよく知られていますが、文博界隈のようなまち中にも存在しているのです。とりわけ縄文時代晩期の人々の居住地の発見は、京都中央盆地でも貴重な例で、生活に用いた炉の跡や墓と推定される土坑も検出されています。なお当遺跡は、京都市の遺跡名称では「烏丸御池遺跡」と呼称される遺跡の範囲に含まれています。
このあたりでは、縄文時代の地層は皆様が歩いている道路地面の約2メートル下に今でも眠っています。出土した縄文土器は、器の縁に凸帯をめぐらす鉢で、縄文時代の終末時期のものと考えられています。狩猟用と推測される石鏃のほか、一部に磨耗が観察でき、実際に使用されていたとみられる打製石斧や磨石、収穫具の石包丁、祭祀と関連性が推測される石棒の破片などが発見されています。