三条通を次の世代に残すために|老舗はちみつ専門店「ミールミィ」
株式会社金市商店が運営する京都の老舗はちみつ専門店「ミールミィ」。三条通で1930年より商いを行いながら、時代に合わせて変化を続けてきたこのお店で、代表取締役でありながらハニーハンターとして全国を飛び回り、数々の養蜂家から直接はちみつを仕入れる市川拓三郎さんに今回はお話を伺った。
1930年創業はちみつ専門店「ミールミィ」とは
(店内には数々のはちみつが並びます)
(はちみつのお酒「ミード」)
ーーまずはミールミィがどんなお店なのか教えてください。
弊社は、はちみつ専門店として大きく2つの仕事をしています。1つは、直営店でお客様に直接はちみつを販売するということ。もう1つは、全国のスーパーや百貨店向けにはちみつの卸売を行うということです。
もともと1930年の創業当時には、和菓子屋の問屋としてはちみつの他、豆類、砂糖、寒天なども販売していました。それが暖簾分けなどを経て、徐々にはちみつの専門店になっていきました。現在は三条通にお店を構えながら、全国のお客様とお取引をさせていただいています。
最近では、はちみつ専門店として、「ミード」と呼ばれるはちみつで作ったお酒の醸造所づくりにも取り組んでいます。2024年3月10日に丸太町でオープンする予定ですが、ミードは販売当初あまり認知がなかったところから、徐々に直営店で人気がでて醸造所づくりにまでこぎつけたため、三条通のお店に育てられた商品です。
ーー市川さんの経歴と現在のお仕事についてもお教えください。
私は三条通で生まれ、小学校は地元の学校に通いました。中学校は受験で京都市内の学校へ行き、大学は大阪に進学。その後、輸入食品の会社へ就職し、東京と大阪で勤めました。ゆくゆくは家業を継ぐつもりでいたため、26歳で三条通へ戻り、平成28年に会社の代表として家業を引き継ぎました。
今の僕の仕事は、会社の代表であると同時に、ハニーハンターとして全国の養蜂家さんからはちみつを直接買い付けること。仕入れ先である養蜂家のみなさんは、先代からお世話になっている方もいれば、新規でお取引をさせていただいている方もいて、世界20か国・国内20都道府県を超える場所から100種類以上のはちみつを常時仕入れています。
地域密着型から、一気に商業の通りへ変化
(昭和20年代ごろの金市商店)
(昭和40年代ごろの金市商店)
(昭和50年代ごろの金市商店)
ーー代々三条通で商いを続け、この場所で生まれ育ってきた市川さんですが、過去を振り返り、お店の周辺にはどんなものがあったのか教えていただけますか?
今ミールミィのある場所は通りの角に位置していますが、昔の写真を見ると角には美容室やタバコ屋さんがあり、その隣が僕たちのお店だったようです。その後、正確な年代はわかりませんが、角の店があった場所を買い取って今の店ができました。
店の周辺でいうと、僕が子供の頃から、随分といろいろなお店が入れ替わりました。昔は三条通にマクドナルドがあった時代もあるんです。ただ今と比較すると、幼少期時代はどちらかというともっと地域密着型の通りという印象。昔ながらのお肉屋さんで、よくソーセージを買っていたのはいい思い出です。
ーー幼少期から三条通で暮らしている市川さんが、この街の思い出として浮かぶものはなんでしょうか?
昔の三条通は銀行が多く、それほど商業やショッピングの街ではなかったと聞いています。
そんな三条通で暮らすなかで特に僕が思い出に残っているのは、祇園祭のときに店の前で花火をしたこと。祇園祭が僕らにとって特別で、大きなイベントだったことはとても記憶に残っています。
ーーその後、市川さんが大人になるまで、三条通はどのように移り変わってきたのでしょうか?
僕は「新風館(京都市中京区にある元京都中央電話局を活用した複合商業施設)」ができたことが、三条通の移り変わりにおいて大きな変化のきっかけだったように思っています。
三条京阪駅と烏丸御池駅を繋ぐ通りとして、このあたりが注目されはじめ、ぶらっと歩いてショッピングができるような通りになるなかで新風館ができ、その後三条通はどんどん商業の通りに変わっていきました。当時僕はまだ子供でしたが、印象的にはなんだか一気に賑やかになったような感じがしていました。
新しい京都を体現する三条で、商いを通じて守りたいもの
ーー市川さんはこの三条通に関してどんなイメージを持っていますか?
僕は、三条通は非常に京都らしい通りだと思っています。その理由は、三条通がいわゆるみなさんがイメージするような「古い京都」だけではなく、「新しい京都」を体現できているから。
京都のまちづくりでは「伝統と革新」という言葉がよく使われるのですが、三条通はどちらかというと革新の部分を担っています。流行っているということで言えば、四条通や河原町通も人気ですが、チェーン店も多くみられるため、京都らしさと必ずしもイコールではありません。
三条通はチェーン店が比較的少なく、伝統的なお店もあれば、新しい飲食店やアパレルもあります。通行される方にとって面白い通りだと思いますので、僕らもそんな三条通の面白いお店の一つとして、商いを通じて三条通の賑わいに繋げていきたいと思っています。
ーー三条通で商いをしていてよかったと思うことはありますか?
三条通で事業をしていると、「三条通はブランドである」ということをよく実感します。京都に住んでいる方からすると、京都三条というだけで「賑やかな商業地・中心地」というイメージがありますし、三条という名前も比較的覚えやすい名です。
僕たちはあえて会社のロゴに「京都三条」と入れることで「京都三条のはちみつ専門店」としてブランディングをしてきましたので、この三条通に育ててもらったという感謝と同時に、今後もこの三条通を一緒に盛り上げていかないとという使命感も持っています。
ーー市川さんがこの三条通に残していきたいものを教えてください。
僕は思うんですが、ここで商売を続けていくということは、ある意味時代の変化に対する「抵抗」をしていくということだと思うんです。
三条通はこの数十年の間に、どんどん変わっています。ブランド力のある通りだからこそ、地価も上がり、出店希望者やマンションも増えています。そんななかで僕らの世代には、土地を売却し、違う場所で暮らしたり商いをするという選択肢もあります。
ただ僕は、親から受け継いだこの場所に責任がありますし、ここで暮らしながら働くことで、そんな背中を子供たちに見せていきたいです。
僕たちが三条通で商売を続け、きちんと次の世代に残せるだけの事業として守っていくことは、三条通で暮らし働く人の場所を残していくということです。だから僕たちは、ここで商売を続け、時代の変化に抵抗しながらこの場所を子供たちに残していきたいですね。